今日は時間もあるし寝てるだけの廃人と化してしまったので、1年前、ブログを開設した当初のこの記事の続きをちょっと更新したいと思います。
もう1年は経ったもんね…(遠い目)
なんてったってもう一応は院生なので4年生じゃないし。
はい。
去年の四月に無事大学院へと進学を果たしたmktsは週一で病院に通いながら向精神薬をいただいて眠剤と共に生活をしていました。
学校へは大体週3、なにかプロジェクトがある時は週4。
それが辛い。
電車も今より全然辛かったし、座れないとほんとにパニック起こすくらいだったのでスマホ握りしめてイヤホンつけて2時間の通学を耐えていました。
そこで問題になったのが研究テーマ。
私今でも嫌で研究する気が全く起きないんだけど、すごく大元のテーマは院試の時に決めていたのに、入学して具体的なテーマ決めるぞってなった時に全然決められなかったのよね。
それで何個か具体例を絞ってから消去法で選んだテーマだったんだけど、研究途中で教授にやっぱりテーマ変えたいです、と訴えてみたり、ゼミ中に泣き出したり、完全に情緒不安定でした。
授業もそれなりに大変でした。
まずグループワークがほとんど。
そして役割分担なんてものがあって、マジで私には向いてない、、
私、院に進学して本当に良かったんだろうか…と思いながら授業を受け、夜遅くまでミーティングしたり。
あの状態の時、夜遅い電車に乗って帰るのが本当に苦痛で、座っていても頓服飲んだりしてかなり薬に頼ってました。
今でも多少なりとも頼ってんだけどね。
そしてなんとか講評を終え、前期が終わった頃教授にちょっといいかしら、と言われて呼び出され、ラウンジで軽く話しをすることに。
そこで通達されたのが、休学宣言。
まあ、ぶっちゃけあの生活がしんどかったのでありがたかったし、自分から両親に提案はできないだろうなと思っていたので正直助かったと思いました。
そして教授と両親も話し合いをして、まずは半年休学することに。
よっしゃー、休学じゃー
展示しまくるぞー
と思ってデザフェス出たりいつもの銀座のギャラリーで展示しまくってました。
たまには学校来てね、と言われたけれど実際数えるほども行ってません。
あの遠さはまだ苦手です。
電車が辛すぎる。
薬も取っ替え引っ替え行っていた時期があるのでだいぶ薬に振り回される生活でしたが絵を描いてられるのはほんとに楽しい生活でした。
そしてありがたいことに、四月で一度やめます宣言したバイト先で、店長が裏仕事いっぱいあるし、レジ立ったり表に出なくていいから体調がいい時に週一とか二週に一回でいいから来てもらえると嬉しい、お給料はもちろん出すよ、というお話をいただき、社会復帰のため週一でバイトを始めることにしました。
半年の休学が終わりそうになった時、とてもまた心配になってしまって鬱状態に。
そんななか、リハビリバイトの時にバイトリーダーさんが、迷ってるならやめたほうがいいよ、ちゃんと元気になって回復しましたって宣言できるようになってから復学したら?と。
その言葉もあり、結局一年治療してもあんまり極端に良くなったりもせず、もう半年休学することに。
休学延長届けを提出して、同期が3月に卒業だったので流石に会いに行こうと思って学校行ったのですが、それからまた鬱状態に。
皆こうして社会人になっていくなか、私は休学して、親に負担ばかりかけて脛をかじりまくって医療費を払わせているという現実に打ちひしがれました。
四月からもまた休学生活を続けて今に至りますが、五月には突発性難聴の再来、鬱状態、拒食気味になりほんとに休学延長して良かったと思いました。
そんなこんなですかね。
結局廃人と化してます。
こんな生活、嬉しいんだか苦しいんだかわかりません。
昨日はだって午前散歩に出かけて午後はずっと寝てました。
今日も午前グダッていたら午後昼寝してしまって、代休のマイシスターとお出かけしようと思っていたのに置いていかれました。
(まあ、そりゃ寝てたらほっとかれるわな)
明日はどうなることやら一向にわからぬ毎日です。
本当にこんなでいいのか、と毎日頭を抱えています。
いっそ薬全部やめれば?とか母に言われていますがそれはそれで困る。
私にはもうよくわからない生活です。
とりあえず後期復学できるように体力つけないとダメだよと怒られています。
何度も死にたいなーって思ってるし言ったら、命を粗末にするんじゃないって怒鳴られました。
わかってるけど。
つらみ。
とりあえず明後日にバイト入れてこようと思います。
明日はノープラン。
また何が起こるかわかりません。
そんなわけで簡単ではありますが、この一年の報告とさせていただきます。
読んでくださってありがとうございます。
mkts