まさかのま。

出戻りメンヘラのハイテンション生態記録。

下降気流

 
あまりにも、果てしないほどにやる気がなくなった。
ので少し前の事を振り返ってみようと。
そもそも私がいつからこうなったんだっけ。
(恐ろしく長いです。)
 
ことの本当に本当の発端は小学6年だったかな。
至って真面目な教育家に生まれ育ったのでわりと勉強ばっかしてました。
中学受験をしたようなマジメちゃんでした、当時は。
(今は…黙秘権を発動)
といっても大した過去でもない。
 
学校では明るく元気なおてんばだったような。
先生の質問とかに手あげて答えて褒められてたようなマジメちゃんは、5年生までとても楽しく過ごしました。
5年生の学年末に、「うぜぇんだよ、このでしゃばり」と言われたので、マジメちゃんは春休み中バカマジメに考えました。
そして6年生になって手をあげるのをやめました。
 
その結果、どこからか噂が立ってmktsウゼェとなったわけです。
その一年間はシカトされ、全然喋ることもなく時が過ぎていったわけです、卒業の年に。
そして一人の優しい子が、トイレですれ違った時にその噂を教えてくれました。
(当時は全然そんな噂のことも知らなかったので)
 
そしたらなんと、6年で初めて同じクラスになった女子が「mktsってなんでも知ってますみたいな顔して皆のこと見下してる、ウゼェ」と言ったのが最初らしい、、
な、何それ…?みたいな。
結局これは本当に発端なだけなのでサクサクいきます。
しまいには受験が終わって皆と遊べるようになったら何事もなかったかのように元通り。
その女子も受験していたようで、なんだろ、嫉妬か何か買ったのだろうか…未だに謎。
そしてその子が今度は噂を立てたんだってことで孤立してしまったのだけれど素直に私に謝ってくれたので、最後の一ヶ月はその子入れたグループでわりと遊んでました。
 
中学は中高一貫の女子校、ちょっとお堅い学校だったけれどそれなりに楽しんだつもり。
なんだけど。
実は小学校からの内部生という方々がいらっしゃいまして、内部と外部の割合が違うんです。
内部生が多くて、馴染めるかすごい不安でした。
それがきっかけで人間関係とか築くのが一気にへたくそに。
 
1年生のとき、6年生の時の孤立を恐れて物静か系女子を演出。
天然キャラと呼ばれるようになる。
はて。
その時ちょうど家の関係で引っ越すことになっていたのですが。
引っ越す一週間位前に突然電話が鳴り、たまたま出たのが私で、誰だったのか未だにわかりませんが
「お前、まだいたのかよ。さっさと引っ越せよ」
と言われたのを覚えています。
ついに生まれ育った地元から追放宣告…!
忘れようとしていた6年生ブラック再来。
 
そしてそこからちょっとした奇行をする痛い子に。
友達に何したか忘れたけど、とりあえず何か怪我させたのかな。
ほんっっっっっとに小さい擦り傷。
それを毎日、その子に会うたびに謝り、電話をし、手紙まで何日も送ることに。
超、怖い…何これ。
私今こんなことされたらマジ通報レベルだわ。
部活の夏練では、いきなり泣き出して生きてる意味なんかないとトイレに立てこもる。
意味がわからん。
 
それと同時に、この年になって初めて友達から漫画を勧められて読み感動。
絵を描き始める。
まあ、へたくそ。
そのままどっぷりと漫画とアニメに浸かっていく中二病期に突入。
授業中にはらくがきをし、中三で初めて英語で赤点を取る。
(中高一貫なので高校受験がなく、一番弛むと言われているのが中三)
 
はい、父ちゃんおこです。
ぷんすかでした。
当時ガラケーで二次創作や文章書くの好きだったのでネットを使いまくり、携帯も何度か没収くらってます。
携帯叩きつけられたりしたこともあります。
臆病意気地なしの私はいつもすぐに謝る人でした。
 
「こんな点数取るやつは俺の子供じゃねえ!」
 
未だに私は父ちゃんの怒鳴り声も大きな声も苦手。
家に父ちゃんと取り残された時は未だに自室に避難してます。
当時超絶センシティブを発揮していた私は崩壊。
そこから次第にデフレスパイラルへ。
 
高一になって、古典をマジメにやり始める。
そしておセンチな年頃だったので、前略プロフ(懐かしい)できゃっきゃうふふしていたクラスメートとの差別化を図るためにブログを開設。
まだ残ってます、笑っちゃうくらいブラック。
背景色も黒。
そして齧っていたV系に浸かり始める。
ブログで知り合った人とも二回程度内緒で会ったことがあったよ…うん。
 
この時に脳内にお友達が住み始めます。
別に解離性のものじゃないらしいです。
どんどん頭の中にお友達が増えていくわけです。
誰が自分かわからなくなり、当時つけていた日記を振り返るとすごいことになってます。
一体何人出てくる物語なんじゃ…。
 
そしてブログ上でお友達だった子を傷つけてしまったんじゃないかという思い込みで、中一の恐ろしいストーカーばりの行為を思い出し、ついにリスカに手を出す。
何度か繰り返し、今でも仲良くしてくれてる当時のクラスメート(バンギャ仲間でもあった)も実はリスカしてたというのでまた更に意気投合。
意気地なしの私は、それでもマジメちゃんだったので親バレも考えつつ浅くたくさん切ってました。
1日10本以上切ったり、側面とか、たまに足首や腿、頸動脈やら切れそうなところは一通り試したり。
それがある日、見つかるわけです。
 
切りながら大泣きしていた私は、たまたま部屋に入ってきた母親にみつかり、カッターを取り上げられややこしい展開に。
カッター取られた後にもまた新しいカッター買ったり、皮膚をひたすら引っ掻くガリガリ癖、腕とか手首を噛んだり止血してみたり。
たまに風呂場で首絞めたり。
母親を泣かせたマジメちゃんは、今でこそ後悔してますが、当時は糞食らえとか思ってました。
で、精神科に連れてってもらい、抑鬱症と診断。
紹介されたクリニックは家から少し離れた場所。
予約の関係で一回早退したこともあるけど学校は基本的に皆勤賞。
(体は丈夫)
 
そのクリニックの先生がほんとに合わなかった…。
意味わからん。
脳内のお友達も全部否定され、幻聴?ただの気のせいだよ、うん、と。
リスカなんて皆するし全然なんてことないよね、元気じゃん、と。
まあ、そりゃ体は元気ですとも。
果たしてそれが承認欲求だったのかはわからないけれど、当時はそれがもうムカついてムカついて、存在自体否定されたと思ってました。
学校の上履きに脳内のお友達の名前書いたこともあります。
当然こそこそ話をされるわけです、うん、あれは多分どうかしてたのかも。
 
リスカが軽減されることもなく、医者嫌いが増していき、もう絶対やだと思ったあげく、超笑顔でカウンセリング終わらせました。
センセー、アリガトゴザイマシター。
進歩ないのに高い金を払う意味が全然見出せなかったので。
とりあえず人間不信すぎて医者にも何も話せず平気で嘘ついてました、スミマセン。
今でも病院行って、先生とどんな顔して話していいのかわからないので病院は死ぬほど気を使うし苦手。
 
何がリスカを遠ざけたかというと、わかりません。
多分受験とかだと思うけどハッキリこれとは言い切れない。
むしろ受験勉強してる時だってしてたし。
それでも知ってる友達が一人はいたし、それに助けられていたのかもしれない。
それでも勉強は嫌いじゃなかったので11時間とか平気でやってました。
もうできないけどね。
 
めでたく国公立のデザイン系に。
とはいえ総合大なので、センター重視で試験科目にちょろっと実技があったくらい。
へたくそでも入れました。
大学に入るとメンヘラを発揮。
しかしサークルでしごかれ、わりと冗談の流し方とか覚えたりどうでもいいやとか思えるようになってきました。
そして4年の夏休みで交換留学。
勉強は嫌いじゃないので、留学してまたマジメになりかけてますがアホ全開です。
 
帰国してから、院に進学予定だったのだけれど。
院試の前期日程の願書締め切りがなぜか帰国した週で締め切り。
(調べてなかっただけ)
フランス語の語学試験の受付をしに行ったら近郊の会場が全て締め切り、地方に行ってくださいと。
慌てて新幹線を予約。
そしてその前に、院試のためにTOEICを受けろと。
ぎょえええ、もう英語なんか忘れちゃったよ〜、なんてレベル。
それから卒制のテーマを帰国後に変更、間に合わない。
忙しくなったのになぜかデザフェスに出展。
結果オーライだけど。
バイトも休まず留学前にいたところに復帰。
 
さあ順調。
 
それが年末にごろごろとまた落ちていくのでした。
舞い戻ってきた精神科からパニック発作と診断。
もうカウンセリングは嫌だとはっきり伝えておいた。
大学もろくに行けなくなり家の中をうろうろの毎日です。
しかし。
 
しかし。
 
卒業するための卒業制作の研究発表が残っているのでした。
 
本来の日程は2/3。
前日、電車に乗れなかったので母親同伴で大学にとりあえずた辿り着き教授に相談。
それまで一週間くらい発作を繰り返す。
卒展も初日に3時間くらい滞在しただけで、準備も印刷も全部研究室の同期に任せてしまって合わせる顔がない…。
 
結局予備日に延期してもらって、今はずっと家にいます。
過敏になっているのかパソコン作業で気分悪くなるのでろくに研究室のことも手伝えず、さらなるデフレスパイラルに陥りそうだったのでブログを再開することに。
 
とりあえず、今は卒業を…したいです。
 
果たして無事卒業して院に行けるんでしょうかねえ。
というわけで始めた日記的雑記ブログでございます。
長々とおつきあい下さってありがとうございました。
 
 
 
mkts